過去から未来へと衣食住の食と住を通じてコミュニティの存在を見つめ直しそれを体感する発信地であり、拠点となる場所。SAKAINOMAとは“堺の間”。「“空間”と“時間”と“行間”をテーマに、今昔入り交じる堺という町にひそむ上質を楽しむ」をコンセプトに観光・まち歩きなど、堺を楽しむために必要な、ゆったりとした堺暮らしを体感できる宿泊施設。堺で暮らしてきた市井の人々の生活文化を体験できる、先住から受け継いだものを大切にしつつ、現代に合わせてリノベーションした町家。中庭をはさみ、縁側に面する「母屋棟」と「離れ棟」に分かれ、わずか6帖の間を有する平屋の日本家屋。
590-0947 大阪府堺市堺区熊野町西1-1-23
Google map1992年生まれ。石川県出身。京都精華大学日本画専攻卒業。
伝統的に日本画は、天然素材からできた画材を用いた技法で描かれている。大学在学中からそういった伝統ある日本画を専攻し、大学卒業後においても伝統的な技法を用いて日本画という領域で作品を制作していた。ところが、ある経験をきっかけにその技法は変化した。ある日描こうと考えていたモチーフのスケッチをしに行ったときのこと。スケッチをするために直接自分の眼で見た植物に抱いた感動よりもTVやPCといった人工的なフィルターを通して映し出された植物の画像に抱いた感動の方が大きかったのである。それは、幼いころから自分の生活を取り囲み、現代社会を取り巻くテクノロジーの象徴的存在でもあるTVやPCの存在に影響されている自分の感覚に気づいた瞬間であった。この出来事をきっかけに、伝統的に積み重ねられてきた日本画の歴史、日本画出身であるという自分の作家としての経歴、そして、自分が作家であること以前に現代社会とこれからの未来を生きる社会の一員であるという事実それぞれの時間的、社会的関係性を意識することになった。この意識の下、日本画という領域において古来から伝統的に用いられてきた天然素材による画材を用いるのではなく、あえてアクリル絵の具などの人工的に生み出された画材を意図的に用いて制作することで、自身の作品の在り方として、現代社会性を帯びた作品であり、過去、現代そして未来といった時間の中で位置づけられる作品であり、日本画出身であるという自己のアイデンティティに基づく作品を目指している。この制作スタンスを構成するのは、使用する絵の具のみならず、描かれるモチーフやキャンパス、そして、用いる色彩やその色彩や柄模様を表現するために使用する道具の多様さなど多岐にわたる。現在、具体的にモチーフとして描かれているものとしては、近現代社会を象徴するような高層ビルやゲームの中の画面の世界など自分自身が現代という時代に生まれ育ち、その中で見て感じてきたものを描いている。特に、自分が幼少期に遊んで目にしていたゲームの画面の構図を用いることが多い。ゲームの画面は、俯瞰的な視線で描かれた画面や歪んだ遠近感で描かれた画面などがあるが、それらの画面はもともと古典絵画から影響を受けたものであり、古典的絵画や歴史的絵画の影響を受けている側面もある。こういった背景を踏まえて制作を行い、日本画や絵画の過去の歴史と紐づけることで現代において自身の作品の歴史的関係性を明確化している。
1997 東京都生まれ
2016 多摩美術大学美術学部油画科 卒業
2021 京都芸術大学大学院芸術研究科 在籍
「複製」という行為によってもたらされる「ズレ」
あるモノをそのままトレースしているにも関わらずそこには微妙な「ズレ」が生じており同じように見えてもそれはもう別の何かに変容してしまっている(図版を光と影に変換して再構成する際に発生する変化または複製する行為者の身体性偶然など)。
私たちが他者とコミュニケーションを行う場合にもこのような「ズレ」は発生している。
相手に対して、自身の想いを言葉でシンプルに伝えたいだけなのに、その想いがストレートに伝わることは稀である。
理解とは常に誤解の総体であり、そこには常に、ぼんやりとした「膜」のようなものが存在している。
このような「膜」、つまりコミュニケーションにおける不可能性や不完全性を、「複製」という行為によって生じる「ズレ」を内包した作品に仮借し、可視化していくこと。
それが、私の創作のコンセプトのひとつである。
他者と自己が存在しているという事実や関係性に疑問を持ち、制作を行っている。
凄まじく変化する時代の流れの中に晒されている自身の身体、他者の存在。それらは時折、不明瞭なものとなる。仮想と現実が混在する日常では、存在を明確に認識することは極めて困難だ。ある空間に一人の女性が自由な形で、浮遊するように存在している。曖昧な空間や、他者に対する認識、存在の不安定さ。
しかし、壊れやすくも力強い彼女たちの意思を、その瞬間を表現する。身の回りに起こる事象を描き残す。その体の動きを体感することで、私は初めてその実在に迫ることが出来る。
山中の制作は、同年代の女性を数時間取材・撮影し、カンヴァスに構成するといったプロセスを経て、行われている。
1999年 長野県生まれ
2021年 京都芸術大学 美術工芸学科油画コース 卒業
2021年 京都芸術大学 美術工芸領域 油画領域 入学 現在在学中
人の意思を残し伝える手段のひとつとして人は絵画というメディアを今日まで残してきた。
それはまさに「命の痕跡」、かつて「命が存在してきた証」であるともいえるであろう。
命を持ち得るものは等しく弱者である。共生の時代であるからこそ生命の有限性について思考し、また、わたし自身の生きた痕跡を残すため絵画に時間を閉じ込めていく。
1992年 茨城県出身
2011年 東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業
2021年 「TURNER AWARD 2020」(TURNER GALLERY・東京)
京都芸術大学修士課程在籍
東京都出身、ひょうきん。
広義で日本的なArtist。
Intelligenceの対局に立ち、自身のおどけたcharacter HANAUTAH(はなうた)を相棒とした人間味ある俗世や、独自の世界観を漫画的奇天烈絵画に落とし込み、更には現代春画家として男女の誇張された性器や性交を描いたりする。
Sao Paulo / Brazil、Oakland / US、Dundee / Scotland、Nantes / France、Bangkok / Thailand等、国外のGallery / Museumでの展示、Mural Paintを中心に活動。それに伴い“Little Dragon”や“CUZ” (Sam Dook from The Go! Team & Mike Watt from The Stooges)等に代表されるmusicianへのArtwork / Movie提供も多い。
2017年は南米最大のArt Festivalとも言われる “TRIMARCHI DG” (Mar del Plata, Argentina)にて2,000人の聴衆を前に講演を行う。
2018年には香取慎吾氏が発足させたプロジェクト”NAKAMA de ART”に参加。
2015年より、TRK(Thailand)とのArt Duo “STRANGER TWINS”を結成し、その新作発表展を毎年Bangkokにて行っている。
1992年生まれ。
多摩美術大学絵画学科版画専攻卒業。
鉛筆によるドローイングをベースに
様々なモチーフで構成される画面の気持ちの良さを重視し、其れ等の織りなす空間、物語を想起させるような作品を制作。
作品提供やコラボレーション等、活動の場は多岐に渡る。また、タトゥーアーティストとしての顔も持ち、ドローイング作品同様、繊細な作品を発表している。
20世紀は抽象化の時代、非具象的な芸術の時代、さまざまな技法や表現方法が試された時代でした。
世界には、ロシアンアバンギャルドがあり、アメリカには表現力豊かな抽象主義がありました。
イメージとしての人物を描くのは時代遅れのようになり、アーティストたちはそれに関心を向けなくなりました。
しかし彼にとって、人物とはとても近い存在であり強い関心の対象となるものです。
彼にとっては人の行動すべてが関心の対象ですが特に女性のイメージに基づいて表現することを時代に関係なく試みてきました。
多くの素晴らしい偉大な巨匠であるミケランジェロ、レオナルドダヴィンチ、レンブラント、ボッティチェリ、ヤンファンエイク、ベラスケス、ルーカスクラナッハ、ブリューゲル、ボッシュ、カラヴァッジョ、ジョルジョーネ、エルグレコなど、これらの巨匠の傑作から、彼は真の喜びを感じ取り人生を通して学びつづける姿勢を作品を通じて表現しています。
長野県生まれ
私の作品における赤は「火」の赤である。火は多面的で、様々な事を意味するが、中でも私は火が「変革」を象徴する点に着目して制作している。
そうする事で、私自身や社会に必要な変化を促したいと考える。
過去にプレイしたテレビゲームや少年漫画に影響を受け記憶と妄想の混在したオブジェクトやキャラクターをペインティングで表現している。
1997年 滋賀県生まれ
2019年 京都造形芸術大学情報デザイン学科イラストレーションコース卒業
そこにしか無い空間、息をしている物を作る為に、糸が持っている他と比べることのできない色と色の混ざり合いや質感、厚みを使い「織」をしている。
糸染め、整経、下図や構図の設計、仕立てなど一般的には分業とされているほど、気の遠くなるような細かい作業や数々の工程を全て1人で行っている。
また、表現においての制限も厳しく糸の扱いも非常に困難であり相当な気持ちがなければやり切る事ができない。
それを経た後に生まれる作品が持つ物は本当にそこにしか無い空間であり、息をする音が聞こえる。
パターンの層は、絵の具で形作られた絵そのものであるという面と、パネルと抽象的な形の絵の具の間に挟まることで生まれる新しい支持体としての面を持ち合わせている。
そのどちらとも規定されていない以上、視覚情報から得るものと記憶にずれが生じる。曖昧な視点から見るものは、不安定であるからこそ新しい景色が見える。
エアブラシを用いて、画面上に流線形やモチーフが描かれて画面が構成されます。
エアブラシの特徴として、キャンパスの画面から離してエアブラシを使った場合、塗料は縦にも横にも幅広く、範囲の大きい円のようになり、また、色も薄くなり、キャンパスに乗ります。
逆に、その画面の近くからエアブラシを使った場合、その塗料は縦にも横にも短く、範囲も狭く、また、色濃くなり、つまり、細い線のようにキャンパスに乗ることになります。
これは、エアブラシからキャンパスまでの距離の長さに比例して変化していきます。エアブラシのそういった特徴を作家は、理解して利用し、制作しております。
このエアブラシの特徴が彼のコンセプトに関わっています。
具体的には、『エアブラシが距離の遠近によって、色の濃淡が変わり、塗料の範囲が変化する』という特徴が、『意識とピント』というコンセプトに深く関わっております。エアブラシをキャンパス近くで使用することによって描かれる色濃く細い鋭い線は、まるで、一点に意識を集中させフォーカスする作業に近いものを思い起こさせます。逆に、エアブラシを遠くから使用することによって描かれる色が薄い太い線は、まるで、意識が集中しておらず目の前のものがぼやけて映る、そういったものを思い起こさせます。
つまり、エアブラシを使用する距離によって現れる色の濃淡と線の太さ・細さが、『意識とピント』というコンセプトを元に、作品として実現しており、論理的にも一貫性のあるものになっていると考えております。
彼の作品では、エアブラシを多彩に使用して描かれた線たちが織りなす、空間の奥行き、画面の向こう側へ迷い込んでしまうような無限の広がりを感じることができます。まるで誰かの記憶、歴史、情緒の迷路へ迷い込むような、宇宙のような世界観が存在します。
漫画の表現形式を利用した絵画を制作しています。
漫画のコマの中に描かれた時間を絵画にすることで、それはストーリーの構成物という位置付けから開放され、ある瞬間それそのものとして保護されます。
私はそういった運動をしています。
「人の顔を描く」僕の今日までの作品に共通するテーマであり、制作のモチベーションだ。
「観察すること」「描き出すこと」「人間への興味」「自分自身への興味」 生涯対峙し続けるテーマになるのではないか。
「おじさんを描く」東京港区田町のオフィス街に生まれ育った僕にとって街を行き交うサラリーマン「おじさん」は 一番身近な観察の対象だった。
また、日本画に登場する仙人や七福神など日本古来より伝わる仏像たちの表情にも影響を受け制作している。自分の頭の中にいる人物たちを僕は描き出す。 明確なモデルがいるわけではないが観察の集積が描き出される人物たちに少なからず影響を与えていることは確かだろう。